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第4話 既読スルー

Author: 八月 猫
last update publish date: 2026-06-03 11:00:08

 昼休み、スマホが震えた。

 私は資料から顔を上げ、デスクの隅に置いていたスマホを見る。

 悠斗からだった。

『今日後輩来るから適当に飲み物買っといて』

 私は画面を見つめたまま、少しだけ指を止める。

 ――後輩。

 今朝言っていた人だろう。

『わかった。何人?』

 すぐに送る。

 既読はついた。

 でも返信は来ない。

 私はしばらく待ってから、小さく息を吐いた。

「藤崎さん、お昼行かない?」

 隣の席の佐倉さんが声をかけてくる。

「あ、ごめん。行く」

 慌ててスマホを伏せ、私は立ち上がった。

 会社近くのカフェは昼時で賑わっていた。

 佐倉さんはパスタを注文しながら、ふと思い出したように言う。

「そういえば藤崎さん、またお弁当?」

「うん」

「えら……毎日作ってるよね」

「慣れちゃったから」

「彼氏さんの分も?」

「そう」

「優しいなぁ」

 私は曖昧に笑う。

 本当は、優しいと言われるたび少し困る。

 だって私は別に特別なことをしているつもりじゃないから。

 好きな人にご飯を作るのなんて普通だと思っていた。

「うちなんて無理無理」

 佐倉さんは笑いながらフォークを振る。

「自分の分だけでも面倒なのに」

「でも佐倉さん料理上手そう」

「いや全然。ていうか、男って甘やかすと何もしなくならない?」

 その言葉に、私は思わず苦笑した。

「……そうかも」

「あ、いたでしょ? なんでも彼女任せにするタイプ」

「うーん……」

 私は返事に詰まる。

 悠斗の顔が浮かんだ。

 でも同時に思う。

 任せてるっていうか、私が勝手にやってるだけなんじゃないかなって。

 頼まれてないことまでやって。

 気づいたらそれが当たり前になって。

 それって、悠斗だけが悪いんだろうか。

「藤崎さんってさ」

 佐倉さんが少し不思議そうに言う。

「尽くすの好きそうだよね」

 私は曖昧に笑って、アイスコーヒーを口に運んだ。

 苦かった。

 午後の仕事を終え、スーパーへ寄る。

 私はカゴを持ちながら飲み物売り場の前で立ち止まった。

 ビール。

 チューハイ。

 炭酸水。

 悠斗の好みは全部覚えている。

 後輩の人は何が好きだろう。

 そこまで考えて、ふと手が止まる。

 なんで私は、会ったこともない人の好みまで気にしてるんだろう。

 別に適当でいいのに。

 でも、ちゃんとしたいと思ってしまう。

 嫌な気持ちにさせたくない。

 居心地よく過ごしてほしい。

 そう考える自分に、少し疲れた。

 結局私は無難そうなお菓子と飲み物を買って帰った。

 部屋に入ると、悠斗はまだ帰ってきていなかった。

 私は時計を見る。

 午後七時半。

 後輩が来るなら、もうすぐだろうか。

 急いでリビングを片付ける。

 ソファの服を畳んで。

 テーブルを拭いて。

 洗いっぱなしだったマグカップをしまう。

 誰に頼まれたわけでもない。

 でも身体が勝手に動く。

 その時、スマホが震えた。

『ごめん、やっぱ今日なしになった』

 悠斗からだった。

 私は立ち尽くしたまま画面を見る。

『そうなんだ。了解』

 返信を打つ。

 既読はすぐについた。

 でも、それだけだった。

 私はゆっくりソファに座る。

 静かな部屋。

 テーブルの上には買ってきたお菓子と飲み物。

 なんだか急に力が抜けた。

「……疲れた」

 ぽつりと呟く。

 その声に自分で少し驚く。

 最近、疲れたなんて考える暇もなかった気がする。

 やることを探して。

 悠斗のために動いて。

 ちゃんとして。

 そうしている方が落ち着いた。

 でも今は何もすることがない。

 私はぼんやりスマホを見つめる。

 悠斗とのLINE。

『了解』

『お疲れさま』

『気をつけてね』

 短い言葉ばかり。

 昔はもっとどうでもいい話をしていた気がする。

 仕事の愚痴とか。

 コンビニの新作スイーツとか。

 休みの日どこ行くとか。

 いつからだろう。

 連絡が、必要事項だけになったのは。

 私はスマホを閉じ、ソファに身体を預ける。

 天井を見上げる。

 静かだった。

 でもその静けさが最近少しだけ怖い。

 その時、不意にスマホが震えた。

 私は反射的に手を伸ばす。

 悠斗かと思った。

 でも表示されていたのは知らない名前だった。

『秋山 美咲』

 私は眉を寄せる。

 誰だろう。

 次の瞬間、もう一件通知が届いた。

『今日はありがとうございました! またみんなで飲みたいです!』

 その下には、笑顔の顔文字。

 私はしばらく、動けなかった。

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